ひとの死と自分の生の狭間で

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葬式ができた。こんにちはロング(@rongkk1)です。

 

近所のおいちゃんだ。
数ヶ月前から姿を見なかったけど、先日村の会合で検査入院していると聞いていた。

でも、実はもうかなり病状は悪かったようだ。
元気だったころは、村の掃除には車を出してもらったり、村のゴミ集積所の塗装をしてもらったり、うちの隣保じゃ大活躍してもらっていた。
最近、人の死によくでくわす。40にもなると送ることが、いっぱいだ。
不思議と悲しいとはならない。
寂しい感じはあるが、人の死に悲しみより寂しさを感じる。
今朝は、朝一に香典受付。
うちの村では風習として葬式などに出ない人たちのために公民館で香典の引き取りをする。
朝8時〜1時間ほどか。
結局10時まで公民館にいた。
結構な人数がきた。おじいちゃんおばあちゃんが多く、足ばの悪い公民館入り口で何度もつまづいてハラハラした。
やはり加古川1の高齢化した地域だ。公共の建物はバリアフリーにしてもらいたいが、村にそんな余力があるとは思えない。
せめて、つまづかないようにしてあげなくては、みんな転んで怪我をしちゃいそうだ。
ひとつ気になった話しがあった。
とちの名前についてだ。うちの村の
村全体の高齢化や、家族葬のため、徐々に役割としてはなくなりつつある。
こういった風習はなくなるにつれ、関係性も希薄になってくるのを感じるものだが仕方ない。
葬祭場の音楽には、おいちゃんがよく聞いていた演歌がながれている。
おいちゃんの塗装したゴミ集積所が、山の緑と相まって、深い緑に染まっている。
さよなら。おいちゃん。
もう会えないんだね。

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