いつ、だれだって社会の弱者になるかわからない。だからこそ。

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弱者

 

 

また、自分がいつ社会的弱者になってもおかしくないわけです。その意味で、今困窮している人は、他人ではありません。

社会的弱者に優しい社会であれば、ぼくがもし何かの事情で困窮したとき、ぼく自身が生きやすいですからね。弱者に厳しい態度をとっていると、いざ自分が弱者になったとき、自分と社会を許せなくなります。自分の首を自分で締めるのは馬鹿げています。

まだ東京で消耗してるの?

 

そうです、私もこの考えに共感します。誰しもいつ弱者になるかわかりません。

今かもしれないし明日かもしれない。
自分がそうだったらと立ち位置をかえてみる。そんな在り方か大切だと思います。

いまは余裕のない人が多過ぎます。

ほとんどがそんな状況でしょう。
だから余裕の無いもの同士が潰し合う、そんないやな構造になっています。
余裕のないもの同士で、ほんの少しの余裕を奪い合う。
考えただけでもゾッとしますが、数年前の私がまさにその通りでした。

ほんと地獄絵図ですね。他に目を向けるべきでした。争わなくてもいい者同士が争う。

今の私だったら、即座にその無駄な時間をつかう無限ループからは降りでしょう。

言い知れる恐怖心を煽られ、自分を見失っていたと

そして、それに気づいた今だからこそ、いまやれるべきことは個々にあり、
余裕の無いもの同士でも、ほんとに余裕が無い者への配慮の大切さに
気づいて欲しいと思います。

 

在りようは違えど「生きている」といことは誰も変わらず同じなんですから。

 

弱者の居場所がない社会――貧困・格差と社会的包摂 (講談社現代新書)


 

 

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