タダで働く意味か〜。他人の為の延長線のさきにはね

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タダで働く意味か〜。他人の為の延長線のさきにはね

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結局のところ自分の為がまってるんですよ。

他人のためにやったことで、ありがとうって言葉をもらったときの体験は、お金を対価としてもらう体験とは半端ない体感差があります。こう、生きてるっていうか、必要とされてるとか、同じ世界で生きてる共存感がたかまり感動しちゃう。そう、

存在の自己肯定かできるんです。

たがやってみることをすすめられます。
自分のための為にだせる力って限界あるけど、誰かの為にだせる力って際限ないでしょ?私も、自分の為にやって失敗した事が山のようにあります。けど、ボランティアのように、誰かの為にやった後の気分の良さといったら、計り知れない感動と経験値を得ることかできるんです。自分ひとりの喜びは、誰かといしょに喜びを分かち合うのとは次元がちがうんですね。
糸井重里さんだったけ、「勉強は他人の為にするもんだ。友達がらこまった時のために勉強して知識や経験を積んでおくんだ。」って考え方としてはこのことなんじゃないかな。他人の為だと、ちょっと考え方変わりませんか?私はかわりました。自分が自分の為にやりたい事なんて浅はかな考えや、楽したいことばっかりです。

好きなように生きるのは自由です。けど、何らかのかたちで、仕事をもらってお金を稼ぎたいなら、他者を、喜ばせたり、満足させたりしないといけないわけです。

もちろん、アーティストのようにあなたの作ったものに価値を感じて対価としてお金をくれる人もいますが、そんなんことは希です。一緒にはしてはいけません。

自分を良くみせたいとか、周りに影響を与えるような存在になりたいとか。そんな自己肯定は単なるわがままで、うまくいきません。
ボランティアのような無報酬な作業の先は、超ー自己肯定がらまっています。自己肯定のさきには?

それは体験して欲しいですね。損はしませんよ。

 

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