子どもの七五三参りで感じた神事の存在理由。

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どうもrongkkです。

改めて神社、神事の存在を感じています。感じる作業は瞑想のようであり、心が何処か自分に、外に、全てに、空気になるような感覚です。すると、今まで周囲と比較していた自分の潜在がふっと消えるんですよね。不思議なくらい。神社ってそんな場所です。
祭り以来、子どもの七五三で神社に参ってきました。

 

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加古川では日岡神社が有名です。この時期の七五三参りを目当てに沢山屋台が出るようです。かなり多くの方が参拝にくるのでゆっくり出来ないんですね。それで、私は地域の平荘神社にています。初詣も平荘神社です。
平荘神社。私が子どもの頃からお世話になっています。学校行事、家庭の行事、村の行事。神社は、子どもの頃から不思議な存在でした。神様を祀るという場所であり、祖母が言ってた「神様のバチがあたるで」の神様というのもありました。
人は常に見える周囲の事柄を比較しながら、自分を理解しようとする生き物です。私もそうです。あの人より、この人よりって、知らず知らずのうちに、そんな頭の仕組みになっています。そこに、比較にならない、目に見えない存在がくると比較出来ない。自分には想像すらつかない存在というものが在る。それは、矛盾だらけの世の中を見た目だけで判断することの危うさを示してるように思います。
神社、神事、仏壇間、カタチにならない存在は、想像するしかありません。想像は想像でしかないですが、人が目に見えるものだけで判断するのを諭す存在なのだと思います。見えないもの、人の内面もそうでしょう。見た目だけで判断するのは良くないですね。

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