福島県三島町【奥会津の山里・移住田舎暮らし】橋本光五郎さん洋子さんが【人生の楽園】に登場!場所は?三島町生活工芸館とは?佐久間建設工業「IORI(いおり)」

福島県三島町【移住田舎暮らし】橋本光五郎さん洋子さんが【人生の楽園】に登場!場所は?

福島県三島町「奥会津の山里・移住田舎暮らしを楽しむ橋本光五郎さん洋子さん夫妻が、2019年6月29日土曜6時からのテレビ朝日「人生の楽園」に登場するそうです。

2019年6月29日水無月の伍
福島・三島町
~ 移住先で故郷づくり ~

次回は、福島県三島町が舞台。定年退職後、千葉県から移住し田舎暮らしを始めた橋本光五郎さん(68歳)と妻の洋子さん(67歳)が主人公です。
東京都出身の光五郎さんは大学を卒業後、母校の事務局に就職。25歳のとき洋子さんと職場結婚し、千葉県松戸市に新居を構え3人の子どもを育てました。
光五郎さんが田舎暮らしを考え始めたのは50歳の頃。父親が中国からの引揚者で、戦後の混乱と仕事の関係で転居を繰り返したことから、光五郎さんには“ふるさと”と呼べる場所がありませんでした。そこで光五郎さんは「自分にとっての“ふるさと”をつくろう」と心に決め、移住先を探し始めました。
転機が訪れたのは2011年7月。福島県を襲った豪雨で只見川が氾濫。流域には勤務していた大学のセミナーハウスがあり、家族でよく訪れていた場所でした。豪雨災害のニュースを見て「何が出来るわけでもないが、現地へ行って被害の記録を残そう」と考え、被災地で写真を撮っていた光五郎さん。毎週末通っていると、三島町で建設業を営む男性と出会い誘われるままに三島町を訪ねました。すると初めて訪れる土地なのに、どこか懐かしさを覚え「自分の“ふるさと”にするならここがいい」と直感。こうして、土地を借り地元の杉材で家を建て、2016年7月三島町に夫婦で移住しました。
2人が暮らすのは

。移住後すぐに仲良くなったのが、2軒隣に暮らす佐久間弥一さん(89歳)。一人暮らしの弥一さんとは、酒を誘ったり誘われたりの近所付き合い。薪割りを教わったのも弥一さんです。薪は2年乾燥させたほうがよく燃えるため、2年先の冬を見据え“春が来たら、もう冬支度をする”これが奥会津の生活だと言います。橋本さん夫婦も野菜づくりの傍ら日々薪割りに追われています。「自分の“ふるさと”をつくりたい」その思いで、奥会津の山里で田舎暮らしを始めた橋本さん夫婦。自然に寄りそう2人の暮らしぶりと、見守り支えてくれる地域の皆さんとの交流の様子をご紹介します。

人生の楽園

「福島県三島町 奥会津の山里」はどんなところ

三島町は、福島県大沼郡にある町。2012年に「日本で最も美しい村」連合に加盟。町名は旧宮下村にある「三島神社」に由来する。ウィキペディア

橋本光五郎さん関連

こちらのインタビューで橋本さんが移住され、佐久間建設工業でこだわりの自宅を建てた様子や、テーブルや家具などを橋本さんが三島町生活工芸館で作る様子が紹介されています。ぜひご覧ください。

橋本光五郎さんの家を設計建築した「佐久間建設工業」

地域と共に生きる 佐久間建設工業株式会社は、日本の原風景が色濃く残る「奥会津」で、多様な連携と新たな視点の発想力によって、真に地域に貢献する建設会社を目指し活動をしております。

橋本光五郎さんが自宅を建ててもらうきっかけとなった佐久間建設工業の「IORI」

つるのIORIの特徴

○家づくり・ものづくりの体験・情報発信の場。 (展示場)
○定住・二地域居住を推進する事業と連携を図る。
○骨太な構造、シンプルな間取り、オープンな価格表示。
○寒伐り且つ新月伐採された奥会津の山の木を、ふんだんに使用。
○昔からの工法に習った、職人の技や生活の知恵を、次の世代につたえる。
○建築面積 約20坪 (総2階 述べ床面積 約40坪)

三島町生活工芸館

三島町生活工芸館
生活工芸運動憲章にあるようなものづくりを世代を超えて守り続けていくための拠点施設として、三島町生活工芸館は昭和61年に誕生しました。
館には木工室、陶芸室、編み組室、染織室を備えています。
生活工芸館の施設概要について

ものづくりの技術の継承と普及
生活工芸館ではものづくりの技術を継承するとともに、多くの方に気軽にものづくりに触れていただくために、ものづくり教室とものづくり体験を実施しています。

福島県三島町 観光関連リンク